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生家からのお知らせ


▼宇野千代生家を愉しむ会
■会 場 宇野千代生家
■会 費 4月9日(日)〜6月30日(金) ※火曜休館
午前10時〜午後4時
■入観料 大人200円 高校生大学生100円 中学生以下無料
■延齢茶会&バザー
   4月29日(土)、30日(日)入観料込み400円
   午前10時〜午後4時

●主 催 NPO宇野千代生家
●共 催 宇野千代顕彰会
●後 援 岩国市 岩国市教育委員会
●協 賛 岩国商工会議所 岩国市観光協会
       岩国市文化協会 菜の花学校
●助 成 (財)山口県文化振興財団
●特別協力 藤江淳子
●会場構成 樋口友康

【特別展示】(1)
●瀬戸内寂聴 宮尾登美子 書簡・弔文・著作本
 千代と親交のあったふたりから千代宛の書簡と弔文。
●小林秀雄「モオツァルト」原稿・著作本
 モーツァルト生誕250年にちなみ、千代と交遊のあった日本を代表する評論家、小林秀雄の「モオツァルト」の直筆原稿と「淡墨桜」の直筆書、及び千代への葉書。(初公開)
●決定版「宇野千代の世界」出版記念展示
 この春、千代生誕110年、没後10年を記念して 「決定版宇野千代」が出版された。
 グラフィックボードでダイレクトに展示。
【特別展示】(2)
●千代がデザイン、着装したきもの
 千代がデザインしたきもののほか、「さくらの香立て」
 「原稿」「直筆の短冊」を初公開!!
【延齢茶会】
特製菓子(千代みどり)と延齢茶(錦川源流の延齢水使用)。
心洗われる新緑の中で、心もからだもリラックス。今年も息災延命祈願の一服をどうぞ。
【バザー】
宇野千代グッズをはじめ、いろいろな品物を取り揃えての
バザー。売切れ次第終了いたしますので、ご来場はお早めに。
※専用駐車場がございますが、限られたスペースですので、最寄の
停留所より徒歩にてお越しくださいますようお願い申し上げます。

▼伸びる入観者数
 宇野千代の没後十年とNPO宇野千代生家の発足を記念して4月9日から岩国市川西2丁目の宇野千代生家で始まったイベント「宇野千代生家を愉しむ会・新緑と光と風と」は順調に入観者数が伸びています。
 「愉しむ会」は岩国市名誉市民で作家、デザイナーの故・宇野千代の生家の魅力を知ってほしいと企画されました。期間は6月30日まで。火曜日が休館となる。入観料は大人200円、高校生大学生100円、中学生以下無料。
 宇野千代継承者の藤江淳子さん、演出・構成家の樋口友康さんが東京から駆け付け、NPO会員とともに会場設営を工夫しました。
 特別展として、生家には瀬戸内寂聴、宮尾登美子さんが千代宛に出した書簡や千代の葬儀で読み上げた弔文、千代と交流のあった評論家・小林秀夫さん(故人)の「モオツァルト」直筆原稿、千代の「淡墨桜」の直筆書、千代への葉書など、初公開を含む文学資料がケースに入れられて紹介されている。千代がデザインし、着装した「きもの」や「さくらの香立て」「原稿」「直筆の短冊」も初公開され、入観者の関心を集めている。発刊されたばかりの記念誌、決定版「宇野千代の世界」や千代の人生、生き様などもボードで展示しています。
 展示に合わせ、かつて岩国市玖珂町にあった旅館に設置されていた石碑が生家に移されました。千代の作品『残っている話』の中の一文が彫り込まれています。
 「しかし、今度の岩国は花見見物ではない。
 いつかの人たちと約束した玖珂の鞍掛城址を見るためであった
 朝十時に川西の家を出ると、十五分も経たぬうちに
 玖珂町の中ほどにある新町の池田屋と言う宿にたどり着いた」
 という文章があり、縁があって生家に設置されることになった。
 NPOが運営している生家は、4月に入って2週間で約3千人が訪れています。多い日は300人を超す人たちでにぎわいます。
 関東や九州、関西などの遠隔地から「生家が見たい」と足を運んだ人も多く、生家に植えられた淡墨桜をめでたり、さまざまな展示物の前で千代をしのんでいる。千代の遺影がある仏壇に手を合わせたり、千代の文机をのぞきこむ姿もあります。
 生家で来館者の案内に当たる古川豊子さんは、「ここに来られて、元気が出たという方が多いんです。もう何回も来られて、なじみになった方もいらっしゃいます」と話していました。
 愉しむ会では、4月29日、30日の2日間、「延齢茶会&バザー」を生家で行います。
▼淡墨桜が開花

 岩国市川西二丁目、宇野千代生家の庭で淡墨桜が三月二十一日ごろから開花し始めた。例年に比べ、五日ほど早い。今週末から来週にかけて見ごろを迎えそうだ。
 淡墨桜の花はソメイヨシノに比べると、やや小ぶり。開き始めは濃いピンク、満開になると白くなり、散り始めは淡墨色になる。生前の千代は岐阜県根尾村(現・本巣市)の樹齢千五百年の桜の再生に努め、小説「淡墨の桜」の題材にした。
 生家には実生から育てた三本の淡墨桜が植えられている。生前の千代が植えた二本は樹齢が三十一年、高さ約九メートル。
 二十数年以上、生家の清掃をボランティアで行ってきた「宇野千代生家を守る会」(古川豊子代表)は、今年からNPO宇野千代生家として活動しており、生家を毎日開放、生家を訪れる千代ファンや観光客を案内している。
 宇野千代顕彰会(保田正子会長)は四月一日、二日の二日間、「“淡墨桜”を愛でる会(観桜会)」を開く。午前十時から午後三時まで。会場は宇野千代生家と、川西四丁目の水西書院。生家では、いがもちとお茶の接待(百円)、水西書院では名作「水西書院の娘」の舞台を観賞するビデオシアターなどを予定している。 また、同顕彰会は六月十一日午前十時から、千代没後十年を記念して市民会館で瀬戸内寂聴さんの講演を行う。  (平成18年3月23日)


▼決定版「宇野千代の世界」発刊

 味わい深い小説だけでなく、生き方や語録などによって今なお多くのファンを魅了している宇野千代のすべてを紹介する「決定版宇野千代の世界」がこのほどユーリーグ社から発行された。生誕百十年、没後十年を記念して特別企画されたもので、オールカラー印刷、千代の魅力を満載している。
 巻頭を満開の桜に彩られた錦帯橋の写真が飾る。「さくらの記憶は、生まれ故郷、岩国のさくら並木からはじまります」で始まる一文「私にとって桜は幸福の花」が掲げられている。
 第一パートの「書いた」では、七十五年に及ぶ作家人生の始まりから晩年までをつぶさにたどり、梶井基次郎、川端康成、谷崎潤一郎、林芙美子らとの交流をはじめ、代表作「おはん」にまつわるエピソードなどを多くの写真と共に紹介している。
 また、「私はあらゆることを忘れている。許し難い、と思われている自分の罪も忘れ去っているのと同時に、自分が人からこうむった辛かったことも、忘れている」など、折に触れて語られた宇野千代の含蓄ある言葉が集められた「言葉の処方箋」のページもある。
 九十歳のとき、「新潮」に発表した小説「一ぺんに春風が吹いて来た」を特別掲載したほか、佐伯彰一や瀬戸内寂聴、萩原葉子、宮尾登美子が思い出を語っている。
 第二パートの「創った」では、着物デザイナーとしての宇野千代の美学、ファッション誌「スタイル」の発刊と反響などを美しい着物のグラビアと共に紹介している。
 第三パートは「恋した」。恋多き人として多くの逸話を残す宇野千代が愛した尾崎士郎、東郷青児、北原武夫にスポットを当て、その人と魅力について語る。
 第四パートは「生きた」として、小説を書くことだけではなく、生きることにも意欲的で、いつも感動を行動に移していた宇野千代の料理や美容、おしゃれ、趣味などを自身の言葉で生き生きと紹介している。
 ふるさとの味として、「大平」「岩国鮨(ずし)」にもページが割かれているほか、「故郷岩国に宇野千代を訪ねる」として宇野千代生家や岩国町の写真を掲載した。
 公私にわたって千代と約四十年、生活を共にした秘書の藤江淳子さんのインタビューも掲載されている。百四十五ページ。千八百円。  (平成18年3月25日)

▼連日開放スタート

 特定非営利活動(NPO)法人宇野千代生家(原田俊一理事長、五百七十人)は一日から岩国市川西二丁目にある宇野千代生家の連日開放(火曜日が休館)を始めた。午前十時から午後四時までオープン、明治初期の趣を残す住宅や、約百本のモミジや地表を覆うスギゴケが茂る庭を観光客や市民に見てもらう。
 生家は市が保存観光事業を行うため、買い取った。NPO法人宇野千代生家も会員から募った会費や有志から寄せられた寄付金を市に寄贈した。
 開放日初日は朝からあいにくの雨。新聞などで開放を知ったという人たちがちらほら訪れ、雨にけむる庭などをめでた。
 生家がある川西は錦帯橋下流の臥龍橋を西側に渡ったところに位置する静かな住宅街。作家で、きものデザイナーとしても知られた宇野千代は一八九七年十一月二十八日、この家で生まれた。千代の作品の原点にはいつも故郷の岩国があり、紅殻格子と白いしっくいの壁を持つ生家を訪ねた宇野ファンは作品のよいんを楽しむように生家でのひとときを楽しんでいる。
 生家を守りながら、来場者を迎える古川豊子さんは毎日の開放が始まったことに「責任を感じます。でも、ここに来てくださって、元気をもらったという人が多いんです。『お帰りなさい』という気持ちで、お越しになる方をお迎えしたいですね」と気を引き締めていた。
 きれいに掃き目のついた、玄関の土間には千代の草履が主を待つように揃えてあり、「宇野先生が生きておられてときと同じように、家の中を整えています。その雰囲気を大切にしています」と古川さんは話している。
 生家では開放事業を記念して四月十五日から六月末まで宇野千代没後十年を記念したイベントなどを計画している。
【宇野千代生家】岩国市川西二丁目九の三五。見学は現在無料。駐車場は錦帯橋下河原、錦城橋下などの各駐車場を利用する。 (平成18年3月1日)

▼『毎日が発見』で紹介
 「宇野千代さんの幸福の鍵は、故郷・岩国にあり」−。角川・エス・エス・コミュニケーションズが発行している五十代からの暮らしと生き方マガジン『毎日が発見』二月号は、いつまでも輝く人たちシリーズ第一回として岩国市出身で市名誉市民にも選ばれた作家の宇野千代について十ページの特集を組んだ。
 千代の言葉や作品、写真によって、いつも前向きに自分流のたのしみを見つけ続けた千代の生きざまを紹介、代表作『おはん』の舞台になった岩国を訪ねませんか、と呼び掛けている。
 お洒落が生きていく上での生きがいになったこと▽そのお洒落も中年を過ぎて老年になってからが「本番」であったこと▽肌を美しく保った秘けつ▽百歳以下の死は事故死であると思っていたこと▽忙しい人は歳をとらないこと▽暗示は魔法の力を持つこと▽女は生涯が結婚適齢期であること▽真の愛とはその人の望むことをすること▽失恋の虫を退治すること|など、千代流の生き方を満載している。
 特集では岩国の錦帯橋や同市川西にある生家、菩提寺となっている教蓮寺、千代の通った小学校内にある岩国学校教育資料館なども写真で紹介、読者のためのオリジナル企画として「宇野千代さんの幸福の鍵 故郷・岩国を訪ねて」と、岩国、萩、津和野を訪ねる旅を提案。岩国の観光振興に一役買っている。
 シニア世代に限らず、“幸福探しの達人”の千代が残した数々の言葉に魅了される人たちは多い。亡くなって十年が経つが、生きざまを紹介する媒体が増えている。今回の特集に協力した宇野千代継承者の藤江淳子さんは「このところ、宇野先生を特集する雑誌などの企画が多いんですよ。現在もグラビアなどの発行に向け、準備が進んでいます」と話している。
 『毎日が発見』は書店では扱っておらず、年間定期購読で自宅に届けられる。一年間購読(十二回)で価格は六千八百円(送料・税込)。申し込み、問い合わせは電話0120(325)012、またはインターネット http://www.mainichigahakken.net
(平成18年2月15日)


■岩国文学散歩

◎国木田独歩 (くにきだ・どっぽ 本名・哲夫)
独歩は明治九年、 父専八の山口裁判所勤務に伴い、 東京から山口にやってきた。 岩国では錦見尋常小学校に学んでいる。 十八年間、 専八が県下の裁判所を転勤するとともに各地に多くの足跡を残した。 それは後年の作品に影響を与えることになる。 錦川と錦帯橋のまち、 岩国では幼少期を回想した 『画の悲しみ』 『泣き笑い』や主人公が夜の錦川を下り、やがて自然のふところに帰っていくという 『河霧』の佳作がある。
青春期をすごした田布施、 柳井地方では、 独歩文学揺籃の地というべく、 『置土産』 『帰去来』 『富岡先生』 『少年の悲哀』 『酒中日記』 等の主要な作品が生まれている。 とくに 『少年の悲哀』は傑作である。
今日、 独歩の描いた風景は失われつつあるが、 彼の作品は今なおみずみずしく私たちに語り掛けてくる。
その他の著作に 『武蔵野』、 『牛肉と馬鈴薯』、 『運命論者』、 『空知川の岸辺』 などがある。
吉香公園の一角に 『欺かざるの記』 の一節 「岩國の時代を回顧すれば/恍として夢の心地す」 を刻んだ《文学碑》がある。
◎河上徹太郎 (かわかみ・てつたろう)
評論家。 明治三十五年一月、 邦彦、 ワカ子の長男として長崎県長崎市に生まれた。 父は岩国・錦見の生まれで家は代々岩国藩士であったが、 東京帝国大学を卒業後、 日本郵船に入社し、 当時は長崎に勤務していたのである。 愛郷心の強かった父親は、 徹太郎に故郷への馴染みをつけさせようと小学校から大学に至る夏休みを全部故郷の海辺で過ごさせた。
徹太郎は、 父の任地の関係で神戸を経て、 東京府立一中、 一高、 東京帝国大学のコースを歩んだ。 もともと文学青年ではなかった彼はスポーツや音楽に親しみ、 このことがのちの評論活動の素地となった。
帝大時代に一級下だった小林秀雄をはじめ、 中原中也、 大岡昇平など、 俊才らと交流を深め、 さらにヴェルレーヌやヴァレリー等の出会いなどによる西洋文学の接点は、 彼の批評精神を大きなものにしていった。
岩国への思いは強く、 岩国の風物を綴った多くのエッセイがある。 音楽評論でも知られる。
主な著書に 『私の詩と真実』 (読売文学賞)、 『日本のアウトサイダー』 (新潮社文学賞)、 『吉田松陰―武と儒による人間像』 (野間文芸賞)、 『憂愁日記』 (日本文学大賞) などがある。 昭和三十六年、 「多年にわたる評論家としての業績」 によって芸術院賞を受賞、 三十八年、 芸術院会員に推され、 四十七年には文化功労者に選出された。 岩国市名誉市民。 岩国市横山の土手に《記念碑》がある。
昭和五十二年の暮れ、 祖父逸の師・玉乃世履の取材で岩国の山腹にある栄福寺を訪れたとき、 「山門や/梯子はずして/吊し柿」という句を詠んだ。
◎元島英三 (もとじま・えいぞう)
児童文学作家。 明治三十二年 (一八九九) 二月二十三日、 東京・本郷で生まれた。 初め大衆文学を志し、 大衆誌の最高峰 「文芸倶楽部」 に連載したほか、 当時多くの大衆雑誌に執筆した。 のち児童文学に転向して小学館、 講談社、 博文館、 実業之日本社から発刊される少年少女雑誌に執筆した。 大正十一年四月の 「令女界」 創刊にも携わり編集・執筆した。
終戦後、 夫人の郷里である岩国に移住し、 昭和二十五年十二月、 岩国文化センター文芸部会会長として機関誌 『岩国文芸』 (のち 『火山群』)、 総合雑誌 『二十一世紀』 (昭四十四・七〜) を創刊するなど文芸活動に力を注ぎ、 昭和四十四年には 「岩国地方文化人連盟」 を発足させ、 以後十五年間にわたり会長を務めた。 また、 福祉・更生保護事業、 社会教育事業などに大きく貢献した。 著書に 『小学国史物語』、 『おはなしの泉』、 『少年西遊記』 などがある。 岩国市門前の大歳神社境内に有志による《文化碑》が建てられ、 横山の菖蒲池には記念樹 「元島桜」 がある。
◎伊藤正一 (いとう・しょういち)  
生粋の岩国人であり、 旧制の岩国中学校を卒業後、 外務省管轄の専門学校東亜同文書院に進学した。 昭和二十二年、 岩国市議会議員に当選したが半期で辞職、 市役所に入り審議室長、 総務課長、 財政課長を経て交通局長という市行政の中枢部を歩み、 四十二年には助役に就任し二期八年間勤めた。 その間、 昭二十六年から岩国文学協会会長に就任し、 文芸誌 『火山群』 の編集・発行人として文芸活動にも意を注いだ。 郷土の生んだ女流文学者宇野千代の人と文学に傾倒し、 昭和五十二年十一月に 「宇野千代後援会」 を発足させ、 初代会長に就任した。 文学者としての著作も多く、 代表的なものに 『錦帯橋由来記』、 『蛇足の人生』、 『錦帯橋物語』、 『岩国玖珂歴史物語』、 『若き日の毛利元就』 などがある。平成二年二月、 その業績を称える《文学碑》が、 岩国文学協会により錦帯橋畔の横山に建立された。
◎江先 光 (えさき・ひかる)
大正六年十二月、 岩国生まれ。 昭和七年三月、 岩国尋常高等小学校を卒業。 昭和十四年、 日中戦争に参戦し、 続く太平洋戦争で中国を転戦したが、 終戦とともにソ連軍に捕らえられ、 ウラジォストック、 ハバロフスク等での長い抑留生活で辛酸を味わった。 昭和三十一年七月、 引揚げ船で舞鶴に上陸し、 故郷の岩国に帰り着いた。 平成二年から八年にかけて岩国文学協会会長を務め、 文芸誌 「火山群」 を通じて文学活動を続けた。 八十五歳の現在も事業に精励する傍ら、 エッセイ等を執筆するほか、 趣味の水墨画を美術展等に出品している。 著作に 『戦鬼』 (昭五三)、 『銃剣と人形』 (昭五六)、 『慰安婦秀雲』 (昭五七)、 『千人の戦鬼』 (昭五十九)、『牙の神兵』 (昭六一)、 『一歩二歩三歩一生懸命』 (平六)、 『絵草紙日中戦争』 (平一一) などがある。
◎鑓田研一 (やりた・けんいち 本名・徳座研一)  評論家・小説家。
明治二十五年八月、 岩国の今津で生まれた。 神戸中央神学校卒業。 大正三、 四年ごろ、 菊池寛一、 宇野千代らと回覧雑誌 「海鳥」 を発行した。 トルストイに共鳴して 『トルストイの生活と芸術』 (大七) を翻訳出版した。 戦前、 農民文学会機関誌 「農民」 に多く執筆したが、 戦後も日本農民文学会の結成に参画している。 主な著書に 『内村鑑三』、 『新島襄』、 『賀川豊彦』、 『石川啄木』、 『島崎藤村』、 『聖母マリア』、 『徳富蘆花』、 『樋口一葉』 などがあり、 優れた評伝を世に送った。 満州建国の事情を抉った 『満州建国記』 三部作 「奉天城」 「王道の道」 「新京」 は力作である。
◎沖井千代子 (おきい・ちよこ 本姓・高橋)
 児童文学作家。 昭和六年 (一九三一)、 医師沖井礒吉の三女として愛媛県今治市に生まれた。 礒吉は昭和十年に岩国市元町で外科病院を開業した。 昭和二十二年に県立岩国高等女学校を卒業し、 県立広島女子専門学校 (のちの広島女子大学) 国文科に進んだ。 芥川賞作家の大庭みな子は岩国高女での同級である。
昭和三十一年、 「婦人朝日」 の特別懸賞童話の入選をきっかけに童話を書き始め、 小説家・児童文学作家の坪田譲治に師事した。 著書に 「読書感想文コンクール課題図書」 に選ばれた 『もえるイロイロ島』 (昭四三)、 『歌よ川をわたれ』 (昭五五)、 『赤い円ばんあんパン号』 (平四) など多くの作品がある。 昭和四十四年度の山口県芸術文化振興奨励賞を受けたほか、 『空行く舟』 (平一三・一二小峰書店刊) で第四二回日本児童文学者協会賞及び第三二回赤い鳥文学賞を受賞した。

◎河上 肇 (かわかみ・はじめ)
『資本論』 の翻訳などで知られる経済学者であるが、 『自叙伝』、 『貧乏物語』 などは文学的にも高く評価され、 詩集 『旅人』、 詩歌集 『ふるさと』 もある。 明治十二年十月、 山口県玖珂郡岩国町に父河上忠 (すなお)、 母・田鶴 (たず) の長男として生まれた。 山口高を経て東大政治学科を卒業。 京大助教授時代の大正二年ヨーロッパに留学、 帰朝後、 教授となった。 昭和八年、 治安維持法により検挙され、 懲役八年の判決を受けて入獄した。 獄中から故郷の母に宛てた手紙には、 岩国での少年時代の思い出が数多く綴られている。 出獄後は閉戸閑人、 千山万水楼主人の雅号で漢詩、 和歌、 篆刻 (てんこく) などに親しむ日々を過ごした。 『河上肇全集』 (岩波書店刊) がある。 岩国市横山の土手に《歌碑》がある。

◎高橋金窗 (たかはし・きんそう 本名・政夫)
昭和四十五年三月、 岩国市俳句協会が結成され初代の会長に選ばれた。 当時俳句雑誌 「同人」 を中心とする同人派の会長も務めていた。 句集 『五軒谷』、 『土穂石』 などがある。 五軒谷は岩国当時の居住地名、 土穂は後年住んだ柳井の地名。 岩国市の吉香公園 (昭三一)、 通津公民館 (昭三八) のほか、 山口市の香山公園露山堂 (昭五○) に《句碑》が建てられている。

◎玉田太郎 (たまだ・たろう 俳号・空々子)
医師。 現在岩国俳句協会顧問、 岩国同人俳句会会長を務める。 昭和二十二年から句作を続け、 九十二歳の現在も指導的立場から岩国俳壇に貢献している。 第一句集 『故郷』 (平二) に続いて平成十四年秋、 第二句集 『冬薔薇 (ふゆそうび)』 (平一四) を刊行した。 二十年間理事長を務めた、 玖珂郡美和町の特別養護老人ホームに《句碑》が建立されている。

◎大庭みな子 (おおば・みなこ 旧姓・椎名、 本名・美奈子)
昭和五年東京生まれ。 海軍軍医の父の転勤で転校が続いたが、 昭和二十二年岩国高等女学校を卒業した。 著作に 『三匹の蟹』 (群像新人賞・芥川賞)、 『がらくた博物館』 (女流文学賞)、 『寂兮寥兮 (かたちもなく)』 (谷崎潤一郎賞)、 『啼く鳥の』 (野間文芸賞) などがある。

◎新庄嘉章 (しんじょう・よしあきら)
フランス文学者。 フランス文学者会会長。 早稲田大学名誉教授。 大正十三年、 県立岩国中学校を四年終了。 アンドレ・ジードの 『狭き門』、 『モーパッサン全集』、 大デュマの 『モンテクリスト伯』、 小デュマの 『椿姫』 その他多数の翻訳がある。

◎杉本春生 (すぎもと・はるお)
日本文芸家協会、 近代日本文学会の会員。 地方文化の会・岩国の第二代会長。 「H氏賞」 の選者。 著作に評論集 『叙情の周辺』 (ユリイカ)、 『現代史の方法』 (思潮社)、 『叙情の思想』(弥生書房)、 『全集』などがある。 昭和三十四年に山口県芸術文化振興奨励賞を受賞した。 吉香公園内には記念桜が植樹されている。品種は紅染井。そばの碑には杉本の「風には 受胎の匂いがある」の言葉が刻まれている。

◎吉川英治 (よしかわ・えいじ)
小説家。 明治二十五年神奈川県生まれ。 代表作『宮本武蔵』を書くにあたって岩国に取材に訪れた。 佐々木小次郎を岩国藩士と設定、 錦帯橋下の巌流ゆかりの柳で 「つばめ返し」 の技を修得したとしている。 吉香公園内の一角に小次郎の銅像が建立されている。

◎目加田誠 (めかだ・まこと)
中国文学者。 明治三十七年岩国市生まれ。 『詩経』 の研究で知られる。 九州大学名誉教授。 早稲田大学教授として重きを為す。 「平成」 の年号制定の際は諮問委員の一人として貢献した。主な著書に 『風雅集』など。 横山の吉香公園内にある目家田家住宅は中級武家屋敷の数少ない遺構であり、 昭和四十九年、 国の重要文化財に指定された。

◎田中穂積 (たなか・ほづみ)
海軍軍楽隊長。安政二年生まれ。 「勇敢なる水兵」 「黄海海戦」 などの作曲はよく知られるが、特に一九〇〇年ごろ作曲された「美しき天然」 は不朽の名曲として有名である。 作詞は武島羽衣。 メロディは、 サーカスのジンタとして今に残る。横山千石原の出生地に生誕碑、 吉香公園内に胸像と歌曲碑が建っている。

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